近代史(明治・大正)
日本は開国し、御雇外国人頼みの殖産興業に力を入れて近代化に成功し、列強国に仲間入りした時代。
| 明治時代(1868年:威張ろうや旧幕府の誇り) | 清 | |
| 1868年 | 【戊辰戦争】:以下の一連の戦い 1月、王政復古の大号令に憤慨した旧幕府軍は大阪城から京都に進撃したが、新政府軍に敗れ、徳川慶喜は江戸に逃れた(鳥羽・伏見の戦い)。 4月、新政府軍代表の西郷隆盛は旧幕府軍代表の勝海舟と会談し、明治天皇江戸城入城(江戸無血開城)。 7月、旧幕軍の彰義隊は上野の寛永寺で新政府軍と対戦し敗退(上野戦争)。 9月、東北越後諸藩の旧幕府軍が会津藩救済のために同盟を組んだ(奥羽越列藩同盟)が、東北信越で新政府軍に敗退(会津戦争)。 1869年5月、最後は榎本武揚が函館の五稜郭に残ったが降伏し、土方歳三は戦死した(箱館戦争)。 |
|
| 1868年 | 【明治維新】:近代天皇制国家を創出する改革 3月、公議世論の尊重と開国和親という明治政府の基本方針を京都御所の紫宸殿で天皇(代理:三条実美)が神々に宣誓した(五箇条の誓文)。また、国民に向けてはキリスト教の禁止など旧幕府の政策を引き継ぐことを示した(五榜の掲示)。 新政府は神道国教化に伴い、神社から仏教的要素を排除して神仏習合を禁止したため(神仏分離令)、全国各地で廃仏毀釈運動が起こり、多くの寺院・仏像が破壊された。 4月、新政府は基本的政治組織を定めた法令である政体書を制定して太政官制を採用し、権力を太政官に集中させた。太政官は三条実美と岩倉具視以外、全て薩長土肥の4藩の出身者(西郷隆盛、木戸孝允、板垣退助、大隈重信)によって占められていた(藩閥政治)。 7月、江戸を東京と改称した。 9月、一人の天皇に一つの元号をつける一世一元の制が制定。 |
|
| 1869年 | ・新政府は平安京から東京に遷都。木戸孝允・大久保利通の立案により、領地と領民を天皇に返還した(版籍奉還)。これにより旧藩主は知藩事に任命され、地方のトップは大名のままで藩制の実態が残った。 ・蝦夷地を北海道と改め、北海道の開発ための官庁である開拓使が東京に設置された。 ・士農工商が廃止され、藩主・公家は華族、武士は士族、百姓・町人は平民となり四民平等となった。えた非人の称も廃止され制度上は平民に含まれたが差別は残った。 |
|
| 1870年 | ・政府は鉱工業や鉄道を担う工部省(初代長官は伊藤博文)を設立し、お雇い外国人から技術指導をしてもらいながら近代産業の育成を進める殖産興業という政策をとった。 ・伊勢神宮を頂点に全国の神社を序列化し、神武天皇が即位した2月11日を紀元節とした(大教宣布の詔) |
|
| 1871年 | ・中央から府知事や県令が3府・72県に派遣され天皇による中央集権国家となった(廃藩置県)。これにより大名は完全に領地を失った。 ・散髪脱刀令により、旧武士は髷を落とし、刀を持たないことが決められた。 ・統一的貨幣制度である新貨条例が制定され、円・銭・厘を単位とした。 ・前島密(一円切手の人)の立案で従来の飛脚に代わる郵便制度が開始。 ・海運では有事に軍事輸送を担わせるため大阪商船(三井)や岩崎弥太郎が経営する郵便汽船(三菱)が政府の支援を受けた。 ・岩倉具視(いわくらともみ)・大久保利通・伊藤博文・木戸孝允らは不平等条約を改正交渉するため岩倉使節団として欧米に渡航した(が実現しなかった)。 |
|
| 1872年 | ・富国強兵のため学制が頒布される。 ・外貨獲得のため官営模範工場として群馬県にフランス式の富岡製糸場を建設し、生糸の生産拡大を図った(のちに民間の三井に払い下げされる)。 ・渋沢栄一は米国の民間銀行が兌換貨幣(金と貨幣を交換できる貨幣)を発行できることにならい、日本も同様の国立銀行条例を制定した(が、全国に4銀行しか発行できなかった)。 ・最初の近代的戸籍として壬申戸籍が作られた。 ・イギリス人のモレルの指導のもと、新橋→横浜で鉄道が開業した。 |
|
| 1873年 | ・富国強兵のため、前年に予告である徴兵告諭が出され、徴兵に反対する農民らから血税一揆が起きた。1873年に20歳以上の男子に3年の兵役の義務が発生する徴兵令が公布され、国民皆兵をスローガンとした(山縣有朋が実現)。 ・政府は軽工業や農業を担い、全国警察組織を統括するための内務省が新設された(初代長官は大久保利通)。翌年に東京の警察を管理する警視庁が設置された。 ・政府は土地所有者に地券を発券し、所有権を認め、米などの物納ではなく、地価3%を現金で納税することが制定された(地租改正令)が、地租改正反対一揆が起こり1877年に2.5%に引き下げた。 ・新政府は五榜の掲示でキリスト教禁止としたが、岩倉使節団が欧米諸国と条約改正をするにあたりキリスト教解禁をした。 ・全国の城郭のうち、軍事施設として使えるものは残し、その他の城は廃止したため多くの城郭がなくなった(廃城令)。 |
|
| 1874年 | ・征韓論争に敗れた板垣退助らは愛国公党を設立するとともに、民撰議院設立の建白書を左院に提出し、国会の開設を求めた。また、故郷の土佐で同志を募り、民権思想普及のため立志社を設立した。 ・大阪→神戸で鉄道が開業。 |
琉球の漁民が台湾に漂流し殺害されたため、日本は台湾に出兵した(台湾出兵)。その後、清国が賠償金を払い、琉球の日本帰属を認めた。 |
| 1875年 | ・板垣退助は大阪で民権派の全国組織として愛国社を設立した。大久保利通は板垣退助と木戸孝允を招き大阪会議を開き、彼らを参議に復帰させて徐々に国会開設の準備を進める方針である漸次立憲政体樹立の詔を出した。その結果、政府は元老院(立法)・大審院(司法)を設置し、府知事や県令を集めて地方官会議を開いた。他方、民権運動を取り締まるために讒謗律(ざんぼうりつ)・新聞紙条例を出し、愛国社を解散させた。 ・岩倉使節団の欧米視察中に、西郷隆盛や板垣退助らは鎖国中の朝鮮に対して朝鮮侵略を進める征韓論を唱えたが、岩倉具視や大久保利通らが帰国後に反対され一次中止となり、西郷隆盛らは一斉に下野した(明治6年の政変)。しかし、鎖国を続ける朝鮮に対して軍隊を派遣して挑発する江華島事件を起こし、翌年に日朝修好条規という不平等条約を結ばせた。 ・樺太をロシア領、千島列島全て日本領とする樺太千島交換条約を結んだ。 |
清11代皇帝光緒帝が即位し、西太后が摂政になる。 |
| 1876年 | 政府は華族・士族へ金禄公債証書(=退職金)を公布し、秩禄(家禄・賞典禄)を廃止した(秩禄処分)。廃刀令と合わせて士族の特権は全て奪われ困窮していったたため、政府は屯田兵を創設して士族を北海道に送り込むなど士族授産(=救済措置)を行ったが効果はあがらなかった。 | |
| 1877年 | 征韓論争に敗れた西郷隆盛は新政府に不平を持つ鹿児島の士族にかつがれ西南戦争を起こしたが、政府軍に鎮圧され城山で自害した。 | |
| 1878年 | 内務卿の大久保利通は士族に暗殺される(紀尾井坂の変)。 | |
| 1879年 | 1872年に設置した琉球藩を廃止し、沖縄県を設置した(琉球処分)。藩王の尚泰(しょうたい)は東京への居住を命じられた。 | 琉球処分によって、日本と清の関係が悪化した。 |
| 1880年 | ・薩長中心の藩閥政治は批判され、武力ではなく言論による自由民権運動が活発になった。そして、再興した愛国社は全国組織の国会期成同盟と改称した。政府は国会開設請願書を受理せず、集会条例で自由民権運動を弾圧し、国会規制同盟は解散させられた。 ・この頃、自由党系の植木枝盛を筆頭とする多くの私擬憲法が作成された。 ・小笠原諸島を東京都に移管した。 |
|
| 1881年 | ・北海道の政府物件が不当に安く払い下げられてることが明らかになり民権派は激しく政府を批判した(開拓使官有物払い下げ事件)。政府は世論を和らげるため勅諭で10年後に国会を開設することを公約した(国会開設の勅諭)。伊藤博文は国会の即時開設を主張した大隈重信を事件に関与したとして罷免した(明治十四年の政変)。 | |
| 1882年 | ・伊藤博文は渡欧してグナイストやシュタインからプロイセン憲法(ドイツ憲法)を学ぶ。 ・福島県令の圧政に農民や自由党員が抵抗し、自由党幹部河野広中らが逮捕される(福島事件) ・産業革命が起こり、渋沢栄一により綿糸を生産する大阪紡績会社が設立されイギリス製の紡績機械を使用して生産された綿糸の生産量が急増した。 ・西南戦争などによる不換紙幣発行により激しいインフレが生じ、大蔵大臣の松方正義(まさよし)はデフレ政策に着手した(松方財政)。抜本的な貨幣金融制度の改革のため渋沢栄一は日本銀行を設立し、日本銀行は銀兌換銀行券を発行した。 |
李氏朝鮮では親日派で国王高宗の妃である閔妃らに対し、親清派で国王高宗の父大院君が日本公使館を襲撃するクーデターを起こしたが失敗に終わった(壬午軍乱)。 |
| 1884年 | ・伊藤博文は貴族院創設に備え、華族を5爵に分け、これらの爵位を旧大名や公家に維新の功労のあった人々に与えた(華族令)。 ・埼玉県秩父で借金党、困民党など数千人の貧農が蜂起(秩父事件)。 |
李氏朝鮮では親清派になった閔妃に対し、親日派の金玉均ら独立党が日本公使館の支援を受けてクーデターを起こすが清軍に鎮圧される(甲申事変)。 |
| 1885年 | ・朝鮮で政権を打倒して朝鮮を乗っ取り伊藤博文に圧力をかけようと企んだ未遂事件(大阪事件)。 ・甲午事変を受けて清との関係改善のために伊藤博文は清の李鴻章と天津条約を結び、朝鮮からの両軍の撤退を行った。 ・福沢諭吉は「時報新報」で脱亜論を発表し、日本がアジアを脱して欧米列強の一員となり清や朝鮮には武力で対処すべきと主張した。 【伊藤博文①内閣誕生(長州閥)】 ・欧州を視察した伊藤博文は、帰国後これまでの太政官制度を廃止して内閣制度を創設し、自ら初代内閣総理大臣に就任する。大蔵大臣に松方正義、内務大臣に山縣有朋が就任した。ドイツ人顧問ロエスレルやモッセの助言で憲法を起草した。 |
ベトナムの支配権をめぐってフランスと清は清仏戦争となる。清が敗れ、フランスと天津条約を結ぶ(こちらは講和条約)。 |
| 1886年 | ・紀伊半島沖でイギリス貨物船が難破し、英国人だけ脱出し日本人乗客は見殺しにされた(ノルマントン号事件)。船長の過失は問われず、不平等条約改正の動きが強まった。 ・外務大臣の井上馨は欧化主義政策を推進し、不平等条約改正を目指し、日比谷に社交場として鹿鳴館がつくられる。しかし、ノルマントン号事件などで政策は失敗し、条約改正には至らず。 |
|
| 1887年 | ・旧自由党と立憲改進党が団結し、自由民権運動の復活として大同団結運動が起こる。そして、地租軽減、言論の自由、外交政策の挽回を求め建白書を提出する(三大事件建白運動)。しかし、政府は保安条例を制定し、運動を弾圧する。 ・岡倉天心とフェノロサは日本の仏教美術の保護に努め、その後東京美術学校(現 東京藝大)を設立した。また、東京音楽学校も設立された。 |
|
| 1888年 | 【黒田清隆内閣誕生(薩摩閥)】 ・ドイツ人顧問のモッセの助言を受けながら、山縣有朋らによって市制・町村制、府県制・郡制が公布され、地方自治制が確立した。 ・天皇の最高諮問機関である枢密院を設置し、初代枢密院議長に伊藤博文が就任。天皇臨席のもと、極秘に憲法審議が行われた。 |
|
| 1889年 | ・2月11日、プロシア憲法を参考にした大日本帝国憲法が発布され、主権は天皇にあるが(立憲君主制)、国民にも法律の範囲内で自由が認められた(欽定憲法:きんてい)。帝国議会は衆議院と貴族院の二院制となった。 ・衆議院議員選挙法が制定され、選挙権は直接国税15円以上納める25歳以上の男子に与えられた。 ・帝国議会は政府寄りの吏党(りとう)と国民寄りの民党に分かれ、首相黒田清隆は超然主義を表明し、政府の政策は政党の意見に左右されないと主張した。 ・北里柴三郎がドイツ留学中に破傷風菌の純粋培養に成功し、破傷風毒素に対する免疫抗体を発見した(血清療法の確立)。 |
|
| 1890年 | 【山縣有朋内閣①誕生(長州閥)】 ・忠君愛国を国民に強いる教育勅語が発布される。 ・朝鮮による穀物の対日輸出禁止措置(防穀令)に対して日本は賠償を要求し、朝鮮での対日感情が悪化した。 ・フランス人顧問ボアソナードの助言で民法を起草した。この民法に対して賛成と反対の民法典論争が生じる。 |
|
| 1891年 | 【松方正義内閣①誕生(薩摩閥)】 ・栃木県の渡良瀬川沿岸で発生した足尾銅山鉱毒事件に関して、代議士の田中正造が天皇に直訴した。 ・来日中のロシア皇太子が警察官に切り付けられた(大津事件) |
|
| 1892年 | 【伊藤博文内閣②誕生(長州閥)】 | |
| 1894年 | ・朝鮮で減税・排日を要求する農民の反乱が起こる(甲午農民戦争)。この反乱は朝鮮政府では鎮圧できず清と日本が出兵し、朝鮮の支配権をめぐる日清戦争が起こる。 ・外相陸奥宗光(むねみつ)が日英通商航海条約を締結し、イギリスの領事裁判権撤廃を達成(治外法権の撤廃)。以後、各国とも条約を結ぶ。 ・北里柴三郎が香港でペスト菌を発見した。 |
孫文がハワイで興中会を結成する。 |
| 1895年 | 日清戦争に日本は勝利し、伊藤博文と陸奥宗光は李鴻章との間で下関条約を結び賠償金(2億両)・遼東半島・台湾・膨湖諸島を得た。また、沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開港させた。しかし露が独・仏と共に遼東半島を返還するよう求め、日本はそれに応じた(三国干渉)。日本は「臥薪嘗胆」の標語でロシアに敵意を示した。また台湾では台湾総督府を設置し、島民を武力で鎮圧した。 | 康有為が皇帝の独裁を改め、憲法による政治を行う改革運動を行う(変法運動)。しかし、皇帝独裁を維持したい西太后によって却下され、康有為は日本に亡命する。 |
| 1896年 | 【松方正義内閣②誕生(薩摩閥)】 | |
| 1897年 | ・貨幣法を制定し、金本位制が採用された。 ・志賀潔が赤痢菌を発見する。 |
親露の大韓帝国(韓国)が成立。 |
| 1898年 | 【伊藤博文内閣③誕生(長州閥)】 ・自由党と進歩党(旧立憲改進党)が合同し、憲政党を結成。 【大隈重信内閣①誕生(憲政党)】 ・初の政党内閣が誕生する(大隈&板垣の隈板内閣:わいはん)。しかし、数ヶ月で憲政党は分裂した。 【山縣有朋内閣②誕生(長州閥)】 |
|
| 1899年 | 政党勢力が役人に入ってこないように文官任用令改正が行われた。 | |
| 1900年 | ・治安警察法が公布され、政治や労働運動の規制を強化した。 ・軍部大臣現役武官制が制定され、陸軍・海軍大臣を現役の大将中将に限定した。 ・伊藤博文は立憲政友会を結成した。 【伊藤博文内閣④(立憲政友会)】 |
列強による中国進出に対抗する「扶清滅洋」を掲げた義和団が北京に侵入、清も義和団に協力し、列強を追い出そうと教会などを襲い反乱を起こす(北清事変)。 |
| 1901年 | ・清から得た賠償金でドイツの技術を導入した官営八幡製鉄所を建て、中国の大冶鉄鉱の鉄鉱石と筑豊炭田の石炭を使用して鉄鋼の国産化を目指した。 ・最初の社会主義政党である社会民主党が結成されるが、治安警察法により即解散となる。 【桂太郎内閣①(長州閥)】 |
列強8カ国連合軍が義和団を制圧し、清は北京議定書を結ばされる。 |
| 1902年 | 伊藤博文らは満韓交換でロシアと交渉しようとする日露協商論を唱えたが、義和団事件後もロシアが満州に滞在したため、ロシアの南下政策に危機感を強めた日本は日英同盟協約を結ぶ。 | |
| 1904年 | ・日本は遼東半島の旅順にあるロシア基地を奇襲攻撃し、日露戦争が勃発する。東郷平八郎が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破り、日露戦争に勝利する。 ・韓国政府内に日本人顧問を採用する第一次日韓協約が結ばれる。 ・日露戦争中にアメリカとの間で非公式に結ばれた日本の韓国保護化を認める内容の桂・タフト協定を結んだ。 ・札幌農業学校卒業かつキリスト教徒の内村鑑三や社会主義者の幸徳秋水は非戦争論を唱えた。また与謝野晶子は反戦詩を書いた。 |
【列強による中国進出】 ドイツ:山東半島の膠州湾 ロシア:遼東半島の旅順・大連 イギリス:九龍半島、威海衛 フランス:広州湾 日本:福建省(列強不割譲) (アメリカ:フィリピン) |
| 1905年 | ・セオドア=ルーズベルトの仲介で小村寿太郎とウィッテはポーツマス条約を結んだ。条約では韓国の外交権、旅順や大連の租借権、南樺太の領土を得たが、賠償金が得られなかった。賠償金が得られなかったため国民の不満が爆発し政府高官邸などを焼いた日比谷焼き打ち事件が起こる。 ・韓国の外交権を吸収し保護国化(第二次日韓協約)、翌年韓国の漢城に韓国統監府を設置し、伊藤博文が初代統監に就任した。 ・イギリスと日英同盟改定を行った。 |
孫文らは、清朝を打倒し新たな民主主義国家を樹立ための組織(中国同盟会)を東京で結成する。 |
| 1906年 | 【西園寺公望内閣①(立憲政友会)】 ・鉄道国有法が制定され、民間鉄道が国有化され、国内輸送の一元化を目的とした。 ・南満州鉄道株式会社(満鉄)を大連に設立。また、旅順に関東都督府を設置。アメリカは満鉄の権益独占に反発した。 ・最初の合法的社会主義政党である日本社会党が結成。 |
|
| 1907年 | ・義務教育6年間が決定。 ・中国が日露以外の列強の支配下に置かれないよう密約した日露協約を以後4回にわたって結ぶ。 ・韓国が日本の内政干渉をオランダのハーグバンコク平和会議に提訴したハーグ密使事件が起きる。日本はその報復として、韓国の内政権も吸収し韓国軍隊を解散させる第三次日韓協約を結ぶ。 |
|
| 1908年 | 【桂太郎内閣②誕生(長州閥)】 | |
| 1910年 | ・伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺された報復に、韓国併合条約を結び京城=ソウルに統治機関として朝鮮総督府を設置し、寺内正毅が初代統監に就任した。韓国統監府は朝鮮総督府へ改組された。 ・明治天皇暗殺計画を名目に社会主義者らが幸徳秋水らが死刑となった(大逆事件)。 |
|
| 1911年 | ・日米通商航海条約改正により小村寿太郎外相が関税自主権の完全回復を達成(不平等条約の全面改正が実現)。 ・初の労働者保護法である工場法が制定される。 【西園寺公望内閣②誕生(立憲政友会)】 |
武昌で革命派が立ち上がり、孫文は中国に帰国後、中華民国を建国し臨時大統領となる(辛亥革命)。 |
| 大正時代(1912年) | 中華民国(1912年) | |
| 1912年 | ・明治天皇が亡くなり、大正天皇が即位する。 【桂太郎内閣③誕生(長州閥)】 ・首相になれない内大臣である桂太郎が首相になったため尾崎行雄(政友会)と犬養毅(立憲国民党)を中心に批判を行う第一次護憲運動が起こる。 |
孫文は清軍のトップである袁世凱と密約を交わし、袁世凱が清を滅ぼす。 |
| 1913年 | ・桂太郎内閣は民衆デモによって内閣総辞職に追い込まれた(大正政変)。 【山本権兵衛内閣①誕生(薩摩閥、海軍大将)】 ・軍部大臣現役武官制改正を行い、予備役・後尾役まで資格拡大し、軍の影響力を制限した。 |
袁世凱が正式に大統領になる。 |
| 1914年 | ・ドイツのシーメンス社から海軍高官への贈収賄が発覚し、海軍出身の山本権兵衛内閣は総辞職する(シーメンス事件)。 【大隈重信内閣②誕生】 ・サラエボ事件をきっかけに欧州で第一次世界大戦が始まり、日本は日英同盟を理由に三国協商に敵対する三国同盟の1つであるドイツに宣戦布告して参戦する。ドイツの軍事拠点地青島を占領した。第一次世界大戦は生糸などの輸出が急増し、大戦景気が訪れ日本に好景気をもたらし財閥を成長させた。 |
第一次世界大戦で列強がヨーロッパの戦争に集中したため、日本が中国進出を強めた。 |
| 1915年 | ・日本は山東省の旧ドイツ権益の継承など二十一箇条の要求を袁世凱政府に突きつける。 | 袁世凱が日本からの二十一箇条の要求を受諾した5月9日を国恥記念日と呼んだ。 |
| 1916年 | 【寺内正毅内閣誕生(陸軍大将)】 | 独裁を強めた袁世凱が病死する。 |
| 1917年 | ・寺内正毅(まさたけ)内閣は中国における日本の権益拡大を狙って袁世凱後継の段祺瑞(だんきずい)政権に巨額の借款を与える西原借款を行ったが、失敗に終わり多額の借金となる。 ・中国の利権をめぐりアメリカとの関係悪化を調節するため石井・ランシング協定をが締結された。 ・物理と科学の総合研究機関として理化学研究所が設立され、のちに理研コンツェルンへ成長。 |
|
| 1918年 | ・スペイン風邪が起こり、日本でも約38万人が死亡する。 ・レーニンの率いるソビエト政権が樹立したロシアに対して干渉するため、チェコスロバキア軍団救援を名目に英米仏と共にシベリア出兵を行った。 ・政府がシベリア出兵を宣言したことをきっかけに商人が米を買い占め米の価格が高騰した。その結果、富山県魚津町の米屋を襲う運動を発端に全国的な騒動に広がった(米騒動)。 ・大学令により帝国大学以外に単科大学や公立私立の大学が認められた。 |
|
| 1919年 | 【原敬内閣誕生(立憲政友会)】 ・最初の本格的政党内閣である原敬内閣が誕生し、原敬は平民宰相と言われた。 ・ドイツの降伏と連合国の勝利によって第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議が開かれ、ヴェルサイユ条約が結ばれた(ドイツは巨額の賠償金を支払い、日本はドイツの山東省と南洋諸島を獲得した)。この会議では民族自決を掲げる米ウィルソン大統領が国際連盟の結成を提案した。 ・戦後アメリカは世界最大の債権国となり、世界の覇者はイギリスからアメリカへ移った。 |
・孫文らにより民主主義政党である中国国民党がつくられる。 ・民族自決の影響を受け、北京で抗日運動である5・4運動が起こる。 ・朝鮮のソウルでは同様に3・1独立運動が起こる。 |
| 1920年 | ・国際連盟が設立される。日本は加入して常任理事国となり、札幌農学校卒業生の新渡戸稲造(武士道の著者)が事務局次長となった。 ・第一次世界大戦の好況に対する反動で株価が暴落し、戦後恐慌が起きる。 |
|
| 1921年 | ・東京駅で原敬首相が暗殺される。 【高橋是清内閣誕生(立憲政友会)】 ・米ハーディング大統領の提唱で海軍の軍備縮小と東アジアにおける日本の拡大を抑えるためワシントン会議が行われ、加藤友三郎が参加した。太平洋での相互の権利尊重を約束した4カ国条約が結ばれ日英同盟協約は終了した。翌年には9カ国条約により日本は山東省を放棄し、石井・ライジング協定は終了した。 |
毛沢東により社会主義政党の中国共産党がつくられる。 |
| 1922年 | 【加藤友三郎内閣誕生(海軍大将)】 ・全国水平社が結成し、部落差別問題の撤廃を求める運動が起こる。 ・コミンテルンの指導の下、非合法で日本共産党が結成された。 ・ロシア革命を契機に世界初の社会主義国家であるソビエト連邦が誕生する。 |
|
| 1923年 | 【山本権兵衛内閣②誕生(海軍大将)】 ・関東大震災が起こり、約10万人が死亡。混乱のなかで社会主義者の大杉栄が虐殺されたり(甘粕事件)、在日朝鮮人が虐殺されたりした。 ・関東大震災のため決裁不能になった震災手形に対して日本銀行は特別融資を行なったが、不況が続き、決済は進まなかった。 |
|
| 1924年 | 【清浦奎吾内閣誕生(貴族院議員)】 ・貴族院中心の超然内閣である清浦奎吾内閣が誕生するが、護憲三派を中心としてその内閣に反対する運動である第二次護憲運動が盛んになり、内閣総辞職となる。 【加藤高明内閣①誕生(憲政会)】 |
中国北部で軍閥が争っており、軍閥打倒のため孫文は第一次国共合作が成立する。 |
| 1925年 | ・幣原喜重郎外務大臣は日ソ基本条約に調印し、ソ連と国交を樹立したが、それに伴う社会主義の浸透を警戒して同時に反政府運動を弾圧する治安維持法も成立させた。 ・納税資格を廃止して25歳以上の男子に選挙権を与えた普通選挙法が成立。 |
※軍閥とは、各地に割拠していた半独立的な軍事勢力のこと。 北京で孫文が肝臓癌で死亡し、その後を蒋介石が引き継いだ。 |
太政官制(二官六省制)
| 神祇官 | ー | 1871年に太政官の下に配置され神祇省となった |
| 太政官 | 大蔵省 | 国家財政関係の官庁、2001年に財務省となった |
| 兵部省 | 軍事関係の官庁、1872年に陸軍省・海軍省となった | |
| 民部省 | 民政全般関係の官庁、1870年に産業近代化を推進する工部省が独立 | |
| 外務省 | 外交関係の官庁 | |
| 刑部省 | 訴訟裁判関係の官庁、1871年に司法省となった | |
| 宮内省 | 皇室関係の官庁、1949年に宮内庁となった |
財閥
明治政府から多くの特権を与えられ、莫大な利益を得た民間の事業家を政商といい、のちに官営事業の払下げの後、財閥に発展した。戦後GHQによって解体されたが、朝鮮戦争の特需によって完全に解体されずに残っている。
| 三井 | 伊勢商人の三井高利が呉服店越後屋(現在の三越)を開業して得た資金を元に、両替商(現在の三井住友銀行)として巨富を蓄え、明治維新後は政府と結びつき官営事業の払下げにより発展した。トヨタ自動車、東レ、東芝も三井グループの系列。 |
| 三菱 | 土佐出身の岩崎弥太郎が政府の特権的保護を受けて海運業で巨利を得て基礎を作り、官営事業の払下げにより長崎造船所・佐渡金山・生野銀山を受け、造船・保険業を中心に三菱重工業・三菱UFJ銀行・三菱商事などに成長した。 |
| 住友 | 近江商人の流れを汲み、江戸時代に別子銅山で得た利益をもとに発展した。 |
| 安田 |
明治時代の文化(文明開花)
| ①太陽暦の導入 | 西洋に倣って1872年に採用された。 |
| ②ガス灯 | 1872年の横浜居留地で初めて使われた。 |
| ③牛鍋 | 現在のすき焼きのようなもの。肉を食べるようになってきた。 |
| ④ざんぎり頭 | 現在のような短髪の髪型で、合わせて洋服を着るのが広まった。 |
明治時代の思想と政党
| 啓蒙思想 | 1873年(明治6年)、森有礼が近代思想普及のため啓蒙団体の明六社を創立。明六雑誌を発行。 |
| フランス自由主義 | 天賦人権思想(人間は生まれながらに自由平等)をベースに、個人の自由を重視した考え。明治初期の考えで、自由党に影響。 ・中江兆民:ルソーの社会契約論を翻訳した「民約訳解」 |
| イギリス功利主義 | フランスとドイツの間の考え、多数人の幸福を追求した考え。明治初期の考えで、立憲改進党に影響。 ・福沢諭吉:「西洋事情」、「学問のすすめ」、「文明論之概略」 ・中村正直:「西国立志編」、「自由之理」 |
| ドイツ国家主義 | 国家の利益を重視する考え。明治初期の考えで、伊藤博文に影響。日本はその後、国家主義をとっていく。 ・加藤弘之:「人権新設」 |
| 平民主義 | 政府の欧化主義を批判し、平民のための欧化主義を唱える考え。 ・徳富蘇峰:民友社を創立し、雑誌「国民之友」を創刊 |
| 国粋主義 | 政府の欧化主義を批判し、日本の伝統を重視する考え。 ・三宅雪嶺ら:政教社を創立し、雑誌「日本人」を創刊 |
| 社会主義 | 平等を目指し、社会が弱者を守る考え。 ・幸徳秋水ら:平民社を創立し、新聞「平民新聞」を創刊、日露反戦を主張 |
【政党の結成】
| 自由党 | 党首:板垣退助 | 地方農村を基盤、フランス流の急進主義 |
| 立憲改進党 | 党首:大隈重信 | 都市の実業家や知識人の支持、イギリス流の穏健主義 |
| 立憲帝政党 | 党首:福地源一郎 | 保守的・政府系の支持 |
明治時代の教育と学問
| 1872年、学制を頒布 | 義務教育のない時代から転換、学制による現存する小学校=旧開智学校 |
| 1879年、教育令 | 義務教育16ヶ月開始、アメリカ式自由主義 |
| 1886年、学校令 | 義務教育4年開始、森有礼が学校令を整備し初代文部大臣となった |
| 1890年、教育勅語 | 国家主義的な教育の指導原理が強調 |
| 1907年、小学校令改正 | 義務教育6年開始 |
| 私立大学の前身 | 慶應義塾:福沢諭吉が創設、現慶応義塾大学 |
| 京都法制学校:中川小十郎が創設、現立命館大学 | |
| 同志社英学校:新島襄(じょう)が創設、現同志社大学 | |
| 東京専門学校:大隈重信が創設、現早稲田大学 | |
| 女子英学塾:津田梅子が創設、現津田塾大学 | |
| 北里柴三郎 | 破傷風菌の純粋培養に成功、ペスト菌発見、伝染病研究所の創設 |
| 志賀潔 | 赤痢菌の発見 |
| 野口英世 | 黄熱病の研究、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功 |
| 高峰譲吉 | 消化薬のタカジアスターゼの創製、アドレナリン分離成功 |
| ボアソナード | お雇いフランス人、刑法・民法などの法典を編纂 |
| ロエスレル | お雇いドイツ人、憲法起草や商法制定 |
| モッセ | お雇いドイツ人、憲法起草や市制・町村制 |
| フェノロサ | お雇いアメリカ人、東京美術学校を創立 |
| クラーク | お雇いアメリカ人、札幌農学校の教頭、内村鑑三などが感化 |
| モース | お雇いアメリカ人、大森貝塚を発見 |
明治時代の文学
| 写実主義 | 世相をありのままに描くもの ・坪内逍遥:「小説神髄」 ・尾崎紅葉:「金色夜叉」 |
| ロマン主義 | 自我を主張・個人を尊重するもの(日清戦争前後) ・樋口一葉:小説「たけくらべ」「にごりえ」 ・森鴎外:小説「舞姫」 ・島崎藤村:詩「若菜集」 ・与謝野晶子:詩「みだれ髪」 ・正岡子規:俳句「ホトトギス」←万葉調和歌の復興 |
| 自然主義 | 社会をありのままに描くもの(日露戦争前後) ・島崎藤村:小説「破戒」 ・田山花袋:小説「蒲団」「田舎教師」 ・石川啄木:詩「一握の砂」 |
明治時代の芸術
| 美術 | 日本画 | お雇いアメリカ人のフェノロサと岡倉天心が東京美術学校を設立 |
| 西洋画 | 日本初の官立美術学校である工部美術学校を設立 | |
| 音楽 | 滝廉太郎が東京音楽学校に進学 | |
| 演劇 | 歌舞伎では市川團十郎などの名優が活躍する団菊左時代となった | |
| 建築 | お雇いイギリス人のコンドルは鹿鳴館やニコライ堂を設計する | |
| 彫刻 | 高村光雲は老猿を制作した![]() |
大正デモクラシー
| 概念 | 第一次護憲運動〜男性普通選挙法性立までの時代思潮や社会運動のこと |
| 理論 | 大日本帝国憲法は否定せず、憲法の枠内で国民の権利を主張するもの |
| 美濃部達吉:天皇機関説、吉野作造:民本主義(黎明会を結成して啓蒙) | |
| 労働運動 | 1912年、鈴木文治(ぶんじ)が中心となり労資協調を行う友愛会を結成 |
| 1921年、階級闘争のため労働組合の全国組織へ発展して日本労働総同盟が結成 | |
| 婦人運動 | 1911年、平塚らいてうは青鞜社(せいとう)を設立し、雑誌「青鞜」を創刊 |
| 1920年、平塚らいてうと市川房枝は治安警察法5条改正のため新婦人協会を設立 | |
| 農民運動 | 1922年、小作人の組合による日本農民組合が結成 |
大正時代の文化(大衆文化)
| 雑誌 | 新聞、総合雑誌:「中央公論」、大衆雑誌「キング」が出現 |
| 放送 | ラジオ放送が1925年に開始 |
| 芸能 | 浅草オペラが関東大震災まで流行 |
| 生活 | 和洋折衷の文化住宅が流行し、家庭内で電灯が普及した、東京と大阪で地下鉄開業 |
| タイピストや電話交換手など職業婦人が出現、洋服を着るモガが現れる | |
| サラリーマン(俸給生活者)が都市に多数見られるようになった |
現代史(昭和・平成・令和)
日本は太平洋戦争に敗戦したが、その後めざましい発展を遂げた時代。
| 昭和時代(1926年) | 中華民国 | |
| 1926年 | 【若槻礼次郎内閣①誕生(憲政会)】 ・大正天皇が心筋梗塞で崩御し、昭和天皇が即位。 ・トヨタ自動車の原点となる豊田自動織機製作所が設立される。 |
|
| 1927年 | 片岡直音(なおはる)蔵相の東京渡辺銀行の経営悪化に関する失言から預金者が引き下ろしに殺到する取付け騒ぎが起こり、連鎖的に多くの銀行が休業する金融恐慌が始まった。第一次世界大戦中に総合商社として発展した鈴木商店が倒産し、不正融資をしていた台湾銀行が休業に追い込まれた。内閣は台湾銀行を救済しようと緊急勅令案を出したが枢密院の了承が得られず総辞職した。 【田中義一内閣①誕生(立憲政友会)】 高橋是清蔵相は銀行が支払い猶予できるモラトリアムを出し、金融恐慌がようやく治った。金融恐慌により小さい銀行が倒産し、五大銀行に預金が集中した。 |
軍閥打倒のための北伐軍の司令官だった蒋介石は、突如共産党員を虐殺したため国共合作が崩れる(上海クーデター)。 |
| 1928年 | ・田中義一(ぎいち)はジュネーブ軍縮会議に参加し、その後、パリ不戦条約に調印した。 ・第一回普通選挙で無産政党から8人が当選し、政府は治安維持法改正し、最高刑を死刑に改正した。また、全国の警察に特別高等課を設置した。 ・北伐の阻止の名目で、満州軍閥の張作霖を支援し、3度の山東出兵を行った。2度目では国民革命軍と日本軍が衝突し、済南城を占領する(済南事件)。張作霖が奉天に戻る際に関東軍の独断による張作霖爆殺事件が起こり、この事件処理をめぐって内閣は総辞職する。 |
北伐が完了し、国民党による南京国民政府が中国統一を宣言する。 |
| 1929年 | 【浜口雄幸内閣誕生(立憲民政党)】 ・浜口雄幸(おさち)は協調外交を掲げ、補助艦の保有率を定めたロンドン海軍軍縮条約を結び、これに対して軍部は統帥権の干犯であると政府を非難した。 |
|
| 1930年 | ・井上準之助蔵相は、貿易取引しやすくするため金本位制を復活させ、金輸出解禁し、固定相場制に移行した。しかし、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し世界恐慌が起こる。日本は金輸出解禁により、その打撃と、第一次世界大戦終結による戦後恐慌+関東大震災により昭和恐慌に陥った。 | |
| 1931年 | ・政府はカルテルの結成(会社同士が連携すること)を助長する重要産業規制法を制定し、産業合理化を促した。 ・浜口雄幸首相は東京駅で銃撃され重症となり、総辞職する。 【若槻礼次郎内閣②誕生(憲政会)】 ・関東軍が独断で奉天郊外の満鉄の線路爆破を起こした柳条湖事件をきっかけに満州全土を占領し、翌年清の皇帝溥儀を迎えて満洲国の建国を宣言した(満州事変)。 |
共産党は江西省瑞金で臨時政府を建てる。 |
| 1932年 | 【犬養毅内閣誕生(立憲政友会)】 ・右翼団体の血盟団により井上準之助前蔵相らが暗殺される(血盟団事件)。 ・高橋是清蔵相は金輸出再禁止し、管理通貨制度を導入した。 ・農民などの地力構成をはかる農山漁村経済構成運動が展開された。 ・犬養毅首相は満洲国を認めなかったため海軍青年将校らに射殺された(5・15事件)。これを機に政党政治→軍事政治に変わった。 【斉藤実内閣誕生(海軍大将)】 ・政府が満洲国を承認し、日満議定書を締結する。 |
|
| 1933年 | ・国際連盟から依頼でリットン調査団が柳条湖事件を調査し、その結果、日本に非があり満州国からの撤退を勧告した。勧告を受けて日本は国際連盟を脱退した。その結果、日本は国際的に孤立した。 ・日中軍事停戦協定の締結で満州事変は終了したが、関東軍により華北を国民政府の支配から切り離す華北分離工作が進められた。 ・満州事変以降、軍部と結びついた日産や日窒などの新興財閥が急成長した。 |
|
| 1934年 | 【岡田啓介内閣誕生(海軍大将)】 | 国民党は瑞金の共産党を攻撃し、共産党は長征をして陝西省延安に大移動する。 |
| 1935年 | 内閣は国体明徴声明を発表し、天皇機関説を公式に否定したため、美濃部達吉は議員辞職した。 | 毛沢東が共産党の責任者となる。 |
| 1936年 | 北一輝(きたいっき)の思想的影響を受けていた皇道派の陸軍青年将校らが大臣らを殺害し、東京の中心部を占拠したが鎮圧されたクーデター未遂事件(2・26事件)。その結果、内閣総辞職となり、軍部は皇道派が一掃され、統制派に一本化される。 【広田弘毅内閣誕生(外交官)】 ・軍部大臣現役武官制復活となる。 ・秘密協定でソ連を仮想敵国とする日独防共協定を調印する。 |
国民党の蒋介石が張学良(張作霖の子)に監禁され、共産党の周恩来と強引に握手させられ内戦停止・抗日の方針に転換する(西安事件)。 |
| 1937年 | 【近藤文麿内閣①誕生(貴族院議長)】 ・北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突する(盧溝橋事件)のを契機に日中戦争が起こる。戦争は長引き、日本は挙国一致を標語に国民生活を厳しく統制した。 ・企画院の設置 |
国民党と共産党は抗日民族統一戦線を結成して日本に対抗した(第二次国共合作)。首都南京が日本軍に占領され(南京大虐殺)、武漢に国民党政府を移す。 |
| 1938年 | ・国家総動員法が制定され、人や物資の統制運用を議会の承認なしに勅令で行えることになった。 ・第二次近衛声明として東亜新秩序声明が出され、大東亜共栄圏構想を立てた。 |
|
| 1939年 | 【平沼騏一郎内閣(枢密院議長)】 ・一般国民を強制的に軍需工場へ動員させることを可能にした国民徴用令と、公定価格の設定が図られた価格等統制令が公布された。 【阿部信行内閣(陸軍大将)】 ・ドイツのポーランド侵攻を機に、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まる。翌年ドイツはパリを占領し、フランスが敗退する。 |
満洲国とモンゴル人民共和国の国境で関東軍とソ連軍が交戦し、満洲国が敗北した(ノモンハン事件)。 |
| 1940年 | 【近藤文麿内閣②③誕生(大政翼賛会)】 ・七・七禁令(ぜいたく品禁止)により米の供出制、砂糖やマッチの切符制が始まる。 ・政党は全て解散させられ、大政翼賛会を結成する。 ・小学校が国民学校に改称させられる。 ・日伊独三国同盟を結び、ナチ党ヒトラー、ファシズム党ムッソリーニとの枢軸国となり第二次世界大戦に参戦する(vs連合国)。その結果、アメリカは鉄鋼やくず鉄の輸出を禁止した。 ・米仏英は日本の南進を恐れ、中国の蒋介石に物資の補給ルートを作った(援蒋ルート)。 ・北部仏印(フランス領インドシナ)進駐し、石油獲得と援蒋ルートの遮断を試みた(南進政策)。 |
|
| 1941年 | 【東條英機内閣(陸軍大将)】 ・日ソ中立条約を締結し、南進に注力できるようになった(ソ連は対ドイツに注力)。 ・南部仏印進駐により日米関係が悪化し、米・英・中・蘭のABCD包囲網によって石油禁輸となり日本は経済的に孤立した。日本は米と交渉したが、最後通牒のハルノートを拒否。東條英機内閣はハワイ真珠湾奇襲攻撃、英国領マレー半島奇襲上陸し、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まる(第二次世界大戦のうち太平洋で起こっている戦争)。 |
|
| 1942年 | ミッドウェー海戦の敗北で日本の力が弱まる。 | |
| 1943年 | ・エジブトのカイロで米Fローズベルト、英チャーチル、中蒋介石が会談を行い、日本が無条件降伏するまで戦うカイロ宣言をする。 ・日本は占領地域の代表者を集めて大東亜共栄圏の結束強化を宣言する大東亜会議を行なった。 |
|
| 1944年 | 【小磯國昭内閣(陸軍大将)】 ・サイパン島で敗戦し、米軍に占領された。サイパン島から爆撃機が日本に飛来し、日本本土爆撃が本格化した。フィリピンのレイテ島沖で戦艦武蔵や神風特攻隊による総攻撃を行うがアメリカに敗れる(レイテ沖海戦)。 |
|
| 1945年 | 【鈴木貫太郎内閣(海軍大将)】 沖縄戦の開始(鉄血勤皇隊やひめゆり隊)、硫黄島の日本軍全滅、東京大空襲、広島と長崎に原爆が投下される。ソ連はヤルタ会談を機に日ソ中立条約を破棄して参戦する。日本はベルリンで開かれたポツダム宣言を受諾し、玉音放送で国民に敗戦を知らせる(独・伊も降伏)。 |
|
| 現代 | 1945年8月15日戦争終了 | |
| 1945年 | 終戦後、満州・サハリン・千島で捕虜となった日本人はシベリアに連行され強制労働させられた(シベリア抑留)。 【東久邇宮稔彦王内閣誕生(陸軍大将)】 ・ミズーリ号上で降伏文書に調印し、陸空軍解体。 ・GHQ最高司令官のマッカーサーが厚木に到着し、GHQ単独の間接統治となった。政策決定を行う極東委員会はワシントンに、マッカーサーの諮問機関である対日理事会が東京に置かれた。 ・政治犯の即時釈放を内容とする人権指令を実行できず内閣は総辞職。 【幣原喜重郎内閣誕生(元外相)】 ・51カ国参加による国際連合が成立。 ・GHQから口頭で五大改革の指令を受けた。 ①経済の民主化:財閥解体司令により持株会社整理委員会が財閥株を公売し解体を行なった。寄生地主制を解体し自作農を行う第一次農地改革を行なった。 ②労働組合の結成奨励:労働組合法を公布、労働者の団結権・団体交渉権・争議権が保障。 ③女性参政権付与:20歳以上の男女選挙権付与 ④教育制度の自由主義的改革:教育三法 ⑤圧政的諸制度廃止:治安維持法・治安維持法・特別高等警察の廃止 |
ポツダム宣言によって台湾が中国に返還された。しかし、日本の敗戦後、国民党と共産党の戦いが激しくなる。 |
| 1946年 | ・物不足によるインフレのため預金封鎖を行う金融緊急措置令が発令された。 ・軍国主義者を公職から追放した。 ・A級戦犯の裁判である東京裁判が行われる。 【吉田茂内閣①誕生(日本自由党)】 ・GHQから提示された草案をもとに若干の修正を加えて11月3日に日本国憲法を制定。内容に基本的人権の尊重、主権在民(天皇→国民主権)、戦争放棄などが含まれた。 ・傾斜生産方式が採用され、資金や資材を石炭鉄鋼部門に集中させた。 ・労働関係調整法、労働基準法が公布され、労働三法がそろう。 ・第二次農地改革を行い、自作農創設特別措置法を制定などを行ない、小作地率が低下した。 |
|
| 1947年 | ・戦後最大の労働闘争である二・一ゼネストが計画されたがGHQ命令で中止。 ・教育基本法により義務教育9年、学校教育法によって6-3-3-4の学制が発足した。 ・独占禁止法を公布し、今後のトラスト・カルテル禁止。監視機関に公正取引委員会を設置した。 ・都道府県知事を公選する地方自治法も公布。 【片山哲内閣誕生(日本社会党)】 ・日本社会党+民主党+国民協同党との連立内閣 ・過度経済力集中排除法により巨大独占企業を分割したが、銀行は解体されず不徹底におわる。 ・アメリカはソ連封じ込めをはかるため、ヨーロッパ経済復興援助計画であるマーシャル=プランを国務長官が発表した。 |
|
| 1948年 | 【吉田茂内閣②〜⑤誕生(日本自由党)】 ・A級戦犯の東條英機や広田弘毅ら7人を死刑。 ・GHQから経済安定九原則の実施指示を受ける。結果、ドッジ=ラインやシャウプ勧告に繋がる。 |
朝鮮半島が2つに分立し、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国となる。 |
| 中華人民共和国(1949年) | ||
| 1949年 | ・湯川秀樹が日本人初のノーベル賞(物理学賞)を受賞する。これを機に、日本学術会議が設立される。 ・デトロイト銀行頭取のドッジの指導により、1ドル360円の単一為替レートが設定された。 ・コロンビア大学教授のシャウプによって所得税を中心に税制改革が断行された。 ・共産圏対抗組織である北大西洋条約機構(NATO)結成。 |
国民党との戦いに勝利した共産党は、毛沢東を首席、周恩来を首相にして建国宣言した。国民党は台湾に逃れ、新政府を建てた。 |
| 1950年 | ・北朝鮮軍が北緯38度線を越えて侵攻したため朝鮮戦争が始まり、戦争による特需景気が起こる。GHQの指令で日本の防衛と治安を維持する警察予備隊が創設される。 ・法隆寺金堂壁画の焼損を契機に、文化財保護法が制定された。 |
朝鮮戦争が始まり、中国は北朝鮮に援軍を送る。 |
| 1951年 | 日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を結び独立回復、占領終了。同時に、日米間で日本防衛のための日米安全保障条約(安保)が調印された。 | 人民解放軍がラサを占拠する。 |
| 1952年 | ・安保の細目協定である日米行政協定が結ばれ、国内に米軍基地が残されることになった。 ・警察予備隊を強化した保安隊が設置された。 |
|
| 1953年 | ・テレビ放送が開始。 | 板門店で朝鮮戦争の休戦協定が調印。 |
| 1954年 | ・自衛力強化を義務付けたMSA協定をもとに、警備隊と保安隊が統合され、自衛隊がつくられる(防衛庁も創設)。 ・ビキニ環礁で水爆実験が行われ、第五福龍丸が被爆する。 |
|
| 1955年 | 【鳩山一郎内閣①〜③誕生(日本民主党)】 ・神武景気が始まり、高度成長期が始まる。 ・自由党と民主党の保守合同により自由民主党が結成され、与党の自民党と野党の日本社会党が議会で対立するの55年体制が始まる。 ・第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催され、アインシュタインを中心に核兵器廃絶を求める宣言が出された。 ・ソ連と東欧諸国はワルシャワ条約機構を結成した(NATOに対抗)。 |
|
| 1956年 | ・モスクワでの日ソ共同宣言によりソ連と戦争終結を宣言した(平和条約は締結してない)。これにより日本は国際連合加盟が実現した。 ・経済白書で「もはや戦後ではない」 |
簡体字が作られる。 |
| 1957年 | 【岸信介内閣①〜②誕生(自民党)】 岸信介は佐藤栄作の実兄で、日米新時代を築く。 |
|
| 1958年 | 毛沢東は人民公社を設立し、農業と工業を農民に行わせた(大躍進)。しかし、餓死者2000万人を出す失敗に終わり毛沢東が失脚する。 | |
| 1959年 | チベットの反乱を人民解放軍が制圧し、ダライラマがインドに亡命。インド国境で武力衝突が起こる(中印国境紛争)。毛沢東の代わりに劉少奇が国家主席になり、鄧小平が補佐する。 | |
| 1960年 | ・安保条約改定をはかり、軍事行動に関する事前協議制を規定した日米新安保条約(日米相互協力及び安全保障条約)に調印した。 【池田勇人①〜③内閣(自民党)】 ・池田勇人は、寛容と忍耐を唱え、また、所得倍増をスローガンに掲げる。 ・白黒TV・電気洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と呼ばれ流行語となる。 |
黒竜江省で中ソ国境紛争が起こり、ソ連との関係が悪化する。 |
| 1961年 | ・農業基本法制定し、農業の機械化・近代化のため国が補助金を出した。 | |
| 1964年 | ・IMF8条国に移行し、経済協力開発機構(OECD)に加盟したことで、為替と資本の自由化が義務付けられた。 ・LT貿易の取り決め締結し、政経分離方針のもと、中国と貿易が開始される(まだ国交未成立)。 ・東京〜大阪間に東海道新幹線が開通。 ・第1回東京オリンピック開催。 |
|
| 1965年 | 【佐藤栄作内閣①〜③誕生(自民党)】 ・佐藤栄作は韓国との間で日韓基本条約を結び、日韓国交正常化が行われた。 ・ベトナム戦争が勃発し、アメリカ支持表明。 |
|
| 1966年 | ・いざなぎ景気開始となり、資本主義国の中でGNP世界第二位となる。 | 毛沢東は政府内部の資本主義復活者(劉少奇や鄧小平)を打倒するといい、学生を中心とした紅衛兵を援助する(文化大革命)。 |
| 1967年 | ・四大公害訴訟が始まり、その後、公害対策基本法が制定される(のちに環境庁も設置)。 | |
| 1968年 | ・小笠原諸島がアメリカから返還。 | |
| 1969年 | ・沖縄の祖国復帰運動が盛んになる。 | 紅衛兵の暴動に頭を悩ませた毛沢東は、紅衛兵を農村に働きに向かわせた(下放運動)。 |
| 1970年 | 大阪万博(日本万国博覧会)開催。岡本太郎の太陽の塔がシンボルとなった。 | |
| 1971年 | ・ワシントンのスミソニアン博物館で1ドル=308円の固定相場制の復活がはかられた。 ・ベトナム戦争での軍事費増大や貿易赤字によりドル危機が起こり、アメリカは金ドル交換の停止を行った(ニクソン=ショック)。その結果、円高ドル安となる。 ・沖縄返還協定調印され、翌年に日本復帰 |
中国が国際連合に加盟し、台湾が脱退させられる。 |
| 1972年 | 【田中角栄内閣①②誕生(自民党)】 ・日本列島改造論:太平洋ベルトに集中した産業を全国に分散させ、新幹線や高速道路で結ぶ ・日中共同声明署名:日中国交正常化し、台湾と断行するも民間貿易は続く |
米ニクソン大統領が訪中し、米中国交正常化が行われた。 |
| 1973年 | ・第4次中東戦争が勃発し、OAPECによる石油輸出制限による第一次オイルショックとインフレが起こり、狂乱物価を招いた。鉄鋼や石油化学などの産業が衰退して高度成長期が終わる。 ・ドル不安が再燃し、日本や西欧諸国は変動為替相場制に移行した。 |
|
| 1974年 | 【三木武夫内閣誕生(自民党)】 ・戦後初のマイナス成長となり、高度経済成長が終了する。 ・佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞する。 |
|
| 1976年 | ・航空機購入をめぐる贈収賄が発覚するロッキード事件が起こり、田中角栄前首相が逮捕される。 【福田赳夫内閣誕生(自民党)】 |
周恩来と毛沢東が死ぬ。 |
| 1978年 | ・北京で日中平和友好条約を締結。 | 鄧小平(事実上のトップ)は工業・農業・国防・科学技術の4つの現代化を進めるため経済の改革開放政策を打ち出した(人民公社解体)。 |
| 1979年 | 【大平正芳内閣①②誕生(自民党)】 ・イラン革命が原因で第二次オイルショックが起こる。 |
一人っ子政策が開始される。 |
| 1980年 | 深圳、珠海、汕頭、厦門に経済特区を設けた。 | |
| 1982年 | 【中曽根康弘内閣①〜③誕生(自民党)】 | |
| 1983年 | 山形県の貧しい農村を舞台にしたNHKドラマおしんが大ヒットする。後に、世界70カ国以上で放送され、オシンドロームを引き起こした。 | |
| 1985年 | ・男女雇用機会均等法が制定される。 ・電電公社が民営化されてNTTへ。 ・ドル高是正のためのプラザ合意が行われた。その結果、円高が急速に進行し、翌年から地価と株価が異常上昇するバブル景気が起こった。 ・深刻な経済危機下にあったソ連はゴルバチョフが登場し、市場原理の導入などペレストロイカを推進して国内体制の変革を進めた。 |
|
| 1988年 | 【竹下登内閣誕生(自民党)】 青函トンネル、瀬戸大橋が開通する。 |
台湾で李登輝が大統領となり民主化を進めた。 |
| 平成時代(1989年) | ||
| 1989年 | ・昭和天皇が崩御し、平成天皇が即位する。 ・竹下登内閣は消費税3%を創設する。 ・日本労働組合総連合会が結成された。 ・リクルート事件により総辞職する。 【海部俊樹内閣①②誕生(自民党)】 |
胡耀邦の死をきっかけに、天安門で学生による民主化デモが起こるが、軍隊で鎮圧する(天安門事件)。 |
| 1990年 | ・ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一。 ・バブル崩壊し、平成不況となる。 |
|
| 1991年 | 【宮沢喜一内閣誕生(自民党)】 ・ソ連解体。 ・イラクのクウェート侵攻を機に、アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラクを攻撃し、湾岸戦争が勃発。日本は110億ドルの経済支援をした。 |
|
| 1992年 | PKO(国連平和維持活動)協力法成立させ、自衛隊をカンボジアに派遣。 | |
| 1993年 | 【細川護熙内閣誕生(日本新党)】 非自民連立内閣により、自民党の55年体制が終了。 |
江沢民が国家主席になる。 |
| 1994年 | 【村山富市内閣(日本社民党)】 ・自民党と新党さきがけによる保革3党による連立政権で初の日本社民党首相村山富市が誕生する。 ・衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入する選挙制度改革実施。 |
|
| 1995年 | ・1月17日、阪神淡路大震災が起こる。 ・地下鉄サリン事件が起こる。 |
|
| 1996年 | 【橋本龍太郎内閣①②誕生(自民党)】 | |
| 1997年 | ・消費税5%へ | 香港が英より返還される。鄧小平が死ぬ。 |
| 1998年 | 【小渕恵三内閣誕生(自民党)】 ・長野冬季オリンピック開催。 |
|
| 1999年 | マカオがポルトガルより返還される。 | |
| 2000年 | 【森喜朗内閣誕生①②(自民党)】 | |
| 2001年 | 【小泉純一郎内閣①〜③誕生(自民党)】 ・郵政民営化や大幅な規制緩和を行なった。 |
|
| 2002年 | ||
| 2006年 | 【安倍晋三内閣①誕生(自民党)】 | |
| 2007年 | 【福田康夫内閣誕生(自民党)】 | |
| 2008年 | 【麻生太郎内閣誕生(自民党)】 | 北京オリンピックが開かれる。 |
| 2009年 | 【鳩山由紀夫内閣誕生(民主党)】 | |
| 2010年 | 【菅直人内閣誕生(民主党)】 | 上海万博が開かれる。 |
| 2011年 | ・東日本大震災が起こる。 【野田佳彦内閣誕生(民主党)】 |
|
| 2012年 | 【安倍晋三内閣②〜④誕生】 | |
| 2014年 | ・消費税8%へ | |
| 令和時代(2019年) | ||
| 2019年 | 12月に中国武漢で新型コロナウイルス感染症が報告され世界に拡大する。 | |
| 2021年 | 第2回東京オリンピックが無観客で開催される。 | |
| 2022年 | ||
| 2023年 | ||
| 2024年 | ||
| 2025年 |
大正・昭和以降の文化
| 文学 | 民俗学の第一人者:柳田國男「遠野物語」 |
| 夏目漱石「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「明暗」 | |
| 森鴎外「阿部一族」 | |
| 谷崎潤一郎「刺青」「痴人の愛」 | |
| 志賀直哉「暗夜行路」「城の崎にて」 | |
| 芥川龍之介「鼻」「羅生門」「地獄変」 | |
| 川端康成「伊豆の踊り子」「雪国」 | |
| プロレタリア文学(社会主義思想や労働運動の立場):小林多喜二「蟹工船」 | |
| 純文学:太宰治「斜陽」「人間失格」 | |
| 純文学:大江健三郎「飼育」 | |
| 絵画 | 日本画の復活に貢献:横山大観「生々流転」 |
| 西洋画:岸田劉生「麗子像」 | |
| 演劇 | 芸術座:島村抱月 |



コメント