近代史
日本は開国し、御雇外国人頼みの殖産興業に力を入れて近代化に成功し、列強国に仲間入りした時代。
1868年 (明治維新と同時期に戦争が行われていた) |
王政復古の大号令に憤慨した旧幕府軍は京都で挙兵し新政府軍と衝突した(鳥羽・伏見の戦い)。新政府軍代表の西郷隆盛は旧幕府軍代表の勝海舟と会談し、江戸城を無血開城させた(明治天皇入城)。旧幕軍の彰義隊は上野の寛永寺で新政府軍と対戦し敗退(上野戦争)。その後、白虎隊などの旧幕府軍は東北信越で新政府軍に敗れ(会津戦争)、最後は榎本武揚・土方歳三らが函館の五稜郭に残ったが降伏した(箱館戦争)。これら一連の戦いを戊辰戦争という。 | ||
明治時代 (1868年) |
会議を開き、公論でものごとを決めるということを京都御所で天皇(代理:三条実美)が神に宣誓した(五箇条の誓文)。また、国民に向けては旧幕府の政策を引き継ぐことを示した(五榜の掲示)。さらに、一人の天皇に一つの元号をつける一世一元の制も定めた。このような明治時代の一連の改革を明治維新と言う。 ただし、政府要職の太政官は三条実美と岩倉具視以外、全て薩長土肥の4藩の出身者(西郷隆盛、木戸孝允、板垣退助、大隈重信)によって占められていた(藩閥政治)。 新政府は神道国教化を行い、神仏習合を禁止したため(神仏分離令)、全国各地で廃仏毀釈運動が起こり、多くの寺院・仏像が破壊された。 |
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1869年 | 新政府は東京に遷都。諸大名に土地と人民を天皇に返還させた(版籍奉還)。ただし、この時はまだ地方のトップは大名のままだった。 | ||
1871年 | 大名が藩を支配する方法を、政府が3府72県+北海道の開拓使を支配する方法に改めた(廃藩置県)。これにより大名は完全に領地を失い、天皇による中央集権国家となった。 散髪脱刀令により、旧武士は髷を落とし、刀を持たないことが決められた。 前島密の立案で飛脚に代わる郵政制度が開始。 海運では大阪商船(三井)や郵便汽船(三菱)が政府の支援を受けた。岩倉具視・大久保利通・伊藤博文らは不平等条約を改正交渉するため岩倉使節団を派遣した(が実現しなかった)。 |
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1872年 | 富国強兵のため、学制が発布し、初等教育を義務化した。当時の小学校として長野県の旧開智学校が今も残っている。その後、福沢諭吉の慶應義塾、新島襄の同志社、津田梅子の女子英学塾などの私学も創設された。 外貨獲得のため官営模範工場として群馬県に富岡製糸場を建設し、生糸の生産拡大を図った。 金融では新貨条例を出し貨幣制度(円・銭・厘)を整え、国立銀行条例を制定して全国に国立銀行を設立させた。翌年、渋沢栄一は第一国立銀行を設立(一橋大学も設立)。 士農工商が廃止され、藩主・公家は華族、武士は士族、百姓・町人は平民となった。(壬申戸籍) イギリス指導のもと、新橋→横浜で鉄道が開業した。 |
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1873年 | 富国強兵のため、20歳以上の男子に兵役の義務が発生した(徴兵令)。 土地所有者は米などの物納ではなく、地価3%を現金で納税することが制定された(地租改正令)が、反対一揆が起こり1877年に2.5%に引き下げた。 新政府は五榜の掲示でキリスト教禁止としたが、岩倉使節団が欧米諸国と条約改正をするにあたりキリスト教解禁をした。 全国の城郭のうち、軍事施設として使えるものは残し、その他の城は廃止したため多くの城郭がなくなった(廃城令)。 |
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1874年 | 征韓論争に敗れた板垣退助は民撰議院設立建白書を提出し、政府に議会の開設を求めた。 大阪→神戸で鉄道が開業。 |
琉球の漁民が台湾に漂流し殺害されたため、日本は台湾に出兵した(台湾出兵)。その後、清国が賠償金を払い琉球の日本帰属を認めた。 | |
1875年 | 岩倉使節団の欧米視察中に、西郷隆盛や板垣退助らは鎖国中の朝鮮に対して朝鮮侵略を進める征韓論を唱えたが、岩倉らが帰国後に反対され一次中止となった。しかし、鎖国を続ける朝鮮に対して軍隊を派遣して挑発する江華島事件を起こし、翌年に日朝修好条規という不平等条約を結ばせた。 | 清11代皇帝光緒帝が即位し、西太后が折衝になる。 | |
1876年 | 政府は華族・士族への年金制度を廃止した(秩禄処分)。廃刀令と合わせて士族の特権は全て奪われ困窮していったたため、政府は屯田兵を創設して士族を北海道に送り込んだ。 | ||
1877年 | 征韓論争に敗れた西郷隆盛は新政府に不平を持つ鹿児島の士族にかつがれ西南戦争を起こしたが、政府軍に鎮圧され城山で自害した。 | ||
1879年 | 琉球藩を廃止し、沖縄県を設置した(琉球処分) | ||
1880年 | 薩長中心の藩閥政治は批判され、武力ではなく言論による自由民権運動が活発になった。そして、全国組織の国会期成同盟が結成された。この頃、植木枝盛を筆頭とする多くの私擬憲法が作成された。 小笠原諸島を東京都に移管した。 |
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1882年 | 産業革命が起こり、渋沢栄一により大阪紡績会社が設立されイギリス製の紡績機械を使用して生産された綿糸の生産量が急増した。 | ||
1885年 | 欧州を視察した伊藤博文は、帰国後内閣制度を創設し、自ら初代内閣総理大臣に就任する。ドイツ人顧問ロレスレルらの助言で憲法を起草した。 | ベトナムに侵攻したフランスと清仏戦争を起こす。しかし、戦いに敗れ、フランスと天津条約を結ぶ。 | |
1886年 | 紀伊半島沖でイギリス貨物船が難破し、英国人だけ脱出し日本人は見殺しにされた(ノルマントン号事件)。船長の過失は問われず、不平等条約改正の動きが強まった。 | ||
1887年 | 岡倉天心とフェノロサは日本の仏教美術の保護に努め、その後東京美術学校(現 東京藝大)を設立した。また、東京音楽学校も設立された。 | ||
1889年 | 大日本帝国憲法が発布され、主権は天皇にあるが(立憲君主制)、国民にも法律の範囲内で自由が認められた。 北里柴三郎がドイツ留学中に破傷風菌の純粋培養に成功し、破傷風毒素に対する免疫抗体を発見した(血清療法の確立)。 |
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1890年 | 忠君愛国を国民に強いる教育勅語が発布される。 | ||
1894年 | 朝鮮で農民を中心として外国勢力の排除を求める反乱が起こる(甲午農民戦争)。この反乱は朝鮮政府では鎮圧できず清と日本が出兵し、朝鮮の支配権をめぐる日清戦争が起こる。 陸奥正光外相がイギリスの領事裁判権撤廃を達成(治外法権の撤廃)。 北里柴三郎が香港でペスト菌を発見した。 |
孫文がハワイで興中会を結成する。 | |
1895年 | 日清戦争に日本は勝利し、下関条約で清から賠償金・遼東半島・台湾・膨湖諸島を得た。しかし露・独・仏が遼東半島を返還するよう求め、日本はそれに応じた(三国干渉)。 | 康有為が皇帝の独裁を改め、憲法による政治を行う改革運動を行う(変法運動)。しかし、皇帝独裁を維持したい西太后によって却下され、康有為は日本に亡命する。 | |
1897年 | 志賀潔が赤痢菌を発見する。 | ||
1899年 | 清は外国勢力を排斥しようする義和団に協力し、列強を追い出そうと教会などを襲い反乱を起こす(義和団事件)。 | ||
1901年 | 清から得た賠償金でドイツの技術を導入した八幡製鉄所を建て、中国の鉄鉱石と筑豊炭田の石炭を使用して鉄鋼の国産化を目指した。 | 列強8カ国連合軍が義和団を制圧し、清は北京議定書を結ばされる。 | |
1902年 | 義和団事件後もロシアが満州に滞在したため、ロシアの南下政策に危機感を強めた日本は日英同盟を結ぶ。 | ||
1904年 | 日本は遼東半島の旅順にあるロシア基地を攻撃し、日露戦争が勃発する。東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊を破り、日露戦争に勝利する。 ちなみに、札幌農業学校卒業かつキリスト教徒の内村鑑三や社会主義者の幸徳秋水は非戦争論を唱えた。また与謝野晶子は反戦詩を書いた。 |
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1905年 | セオドア・ルーズベルトの仲介でポーツマス条約を結んだ。条約では韓国の外交権、旅順や大連の租借権、南樺太の領土を得たが、賠償金が得られなかった。賠償金が得られなかったため国民の不満が爆発し日比谷焼き打ち事件が起こる。 | 孫文らは、清朝を打倒し新たな民主主義国家を樹立ための組織(中国同盟会)を東京で結成する。 | |
1906年 | 南満州鉄道株式会社を大連に設立。 | ||
1907年 | 義務教育6年間が決定。 | ||
1910年 | 朝鮮半島の外交権を得た日本は統監府を置き、伊藤博文が初代韓国総監に就任したが、ハルビン駅で安重根に暗殺される。韓国併合をした後、ソウルに統治機関として朝鮮総督府を設けた。 | 日本はポーツマス条約で権益を得た中国東北部に南満州鉄道株式会社を設立した。 | |
1911年 | 小村寿太郎外相が関税自主権の完全回復を達成(不平等条約の全面改正が実現)。 野口英世が梅毒スピロヘータの純粋培養に成功。 |
中華民国 | 武昌で革命派が立ち上がり、孫文は中国に帰国後、中華民国を建国し臨時大統領となる(辛亥革命)。 |
大正時代 (1912年) |
大正天皇が即位する。 | 孫文は清軍のトップである袁世凱と密約を交わし、袁世凱が清を滅ぼす。 | |
1913年 | 袁世凱が正式に大統領になる。 | ||
1914年 | サラエボ事件をきっかけに欧州で第一次世界大戦が始まり、日本は日英同盟を理由ににドイツに宣戦布告して参戦する。そして山東半島や南洋諸島などのドイツ領を占領した。第一次世界大戦は日本に好景気をもたらし財閥を成長させた。 | 第一次世界大戦で列強がヨーロッパの戦争に集中したため、日本が中国進出を強めた。 | |
1915年 | 藩閥政治を排して政党政治を求める第一次護憲運動、平塚雷鳥や市川房枝による女性解放運動も活発になった(この時代の風潮:大正デモクラシー)。 | 日本からの二十一箇条の要求を袁世凱が受け入れる。 | |
1916年 | 独裁を強めた袁世凱が病死する。 | ||
1918年 | スペイン風邪が起こり、日本でも約38万人が死亡する。 政府がシベリア出兵を宣言したことをきっかけに商人が米を買い占め米の価格が高騰した。その結果、富山県魚津町の運動を発端に全国的な騒動に広がった(米騒動)。 |
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1919年 | 第一次世界大戦が終結し、講和会議がパリで開かれ、連合国と敗戦国のドイツとの間でヴェルサイユ条約が結ばれた(ドイツは巨額の賠償金を支払う)。この会議では民族自決を掲げる米ウィルソン大統領が国際連盟の結成を提案した。 戦後アメリカは世界最大の債権国となり、世界の覇者はイギリスからアメリカへ移った。 |
孫文らにより民主主義政党である中国国民党がつくられる。 民族自決の影響を受け、北京で抗日運動である5・4運動が起こる。(朝鮮のソウルでは同様に3・1独立運動が起こる) |
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1920年 | 国際連盟が設立される。日本は加入して常任理事国となり、札幌農学校卒業生の新渡戸稲造(武士道の著者)が事務局次長となった。 | ||
1921年 | 第一次世界大戦の好況に対する反動で戦後恐慌が起きる。 | 毛沢東により社会主義政党の中国共産党がつくられる。 | |
1922年 | 全国水平社が結成し、部落差別問題の撤廃を求める運動が起こる。 ロシア革命を契機に世界初の社会主義国家であるソビエト連邦が誕生する。 |
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1923年 | 関東大震災が起こり、約10万人が死亡。混乱のなかで社会主義者の大杉栄が虐殺された。 | ||
1924年 | 原敬が初めて政党内閣をつくり、政党を中心とする第二次護憲運動が盛んになった結果、憲政会の加藤高明が首相になった。 | 中国北部で軍閥が争っており、軍閥打倒のため第一次国共合作が成立する。 | |
1925年 | 加藤内閣は男子普通選挙を実現させ、25歳以上の男子に選挙権を与えた。同時に治安維持法も成立させた。 ラジオ放送が開始された。 |
※軍閥とは、各地に割拠していた半独立的な軍事勢力のこと。 孫文が病死する。 |
財閥
官営事業の払下げの後、財閥に発展した。戦後GHQによって解体されたが、朝鮮戦争の特需によって完全に解体されずに残っている。
三井 | 伊勢商人の三井高利が呉服店越後屋(現在の三越)を開業して得た資金を元に、両替商(現在の三井住友銀行)として巨富を蓄え、明治維新後は政府と結びつき官営事業の払下げにより発展した。トヨタ自動車、東レ、東芝も三井グループの系列。 |
三菱 | 土佐出身の岩崎弥太郎が政府の特権的保護を受けて海運業で巨利を得て基礎を作り、官営事業の払下げにより長崎造船所・佐渡金山・生野銀山を受け、造船・保険業を中心に三菱重工業・三菱UFJ銀行・三菱商事などに成長した。 |
住友 | 近江商人の流れを汲み、江戸時代に別子銅山で得た利益をもとに発展した。 |
安田 |
現代史
日本は太平洋戦争に敗戦したが、その後めざましい発展を遂げた時代。
昭和時代 (1926年) |
昭和天皇が即位する。 トヨタ自動車の原点となる豊田自動織機製作所が設立される。 |
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1927年 | 軍閥打倒のための北伐軍の司令官だった蒋介石は、突如共産党員を虐殺したため国共合作が崩れる(上海クーデター)。 | |||
1928年 | 北伐が完了し、国民党による南京国民政府が中国統一を宣言する。 | |||
1929年 | 協調外交を掲げる浜口雄幸が首相となり、ロンドン海軍軍備制限条約を結び、緊縮財政政策を行った。しかし、ニューヨークで株価が大暴落し世界恐慌が起こる。日本はその打撃と、第一次世界大戦終結による戦後恐慌+関東大震災により昭和恐慌が深刻化した。 | |||
1931年 | 陸軍が起こした柳条湖事件をきっかけに日本軍が満州全土を占領し、翌年清の皇帝溥儀を迎えて満洲国の建国を宣言した(満州事変)。 | 共産党は江西省瑞金で臨時政府を建てる。 | ||
1932年 | 犬養毅首相は満洲国を認めなかったため海軍青年将校らに射殺された(5・15事件)。これを機に政党政治→軍事政治に変わった。 | |||
1933年 | 国際連盟から依頼でリットン調査団が柳条湖事件を調査し、その結果、日本に非があり満州国からの撤退を勧告した。勧告を受けて日本は国際連盟を脱退した。 | |||
1934年 | 90 歳 |
国民党は瑞金の共産党を攻撃し、共産党は長征をして陝西省延安に大移動する。 | ||
1935年 | 毛沢東が共産党の責任者となる。 | |||
1936年 | 北一輝の思想的影響を受けていた皇道派の陸軍青年将校らが大臣らを殺害し、東京の中心部を占拠したが鎮圧されたクーデター未遂事件(2・26事件)。 | 国民党の蒋介石が監禁され共産党の周恩来と強引に握手させられる(西安事件)。 | ||
1937年 | 北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突する(盧溝橋事件)のを契機に日中戦争が起こる。首相は近藤文麿。戦争は長引き、日本は挙国一致を標語に国民生活を厳しく統制した。 | 国民党と共産党は抗日民族統一戦線を結成して日本に対抗した(第二次国共合作)。南京が日本軍に占領され(南京大虐殺)、武漢に国民党政府を移す。 | ||
1938年 | 国家総動員法が制定される。 | |||
1939年 | ドイツのポーランド侵攻を機に、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まる。翌年ドイツはパリを占領し、フランスが敗退する。 | 満洲国とモンゴル人民共和国の国境で両者が交戦し、満洲国が敗北した(ノモンハン事件)。 | ||
1940年 | 日伊独三国同盟を結び、枢軸国となり第二次世界大戦に参戦する(vs連合国)。米仏英は日本の南進を恐れ、中国の蒋介石に物資の補給ルートを作った(援蒋ルート)。 | |||
1941年 | 日ソ中立条約を締結し、南進に注力できるようになった(ソ連は対ドイツに注力)。 日中戦争が長引き、中国の補給ルートを断つために東南アジアに南進した(南進政策)。その結果、米・英・中・蘭のABCD包囲網によって石油禁輸となり日本は経済的に孤立した。日本は米と交渉したが、最後通牒のハルノートを拒否。東條英機内閣はハワイ真珠湾奇襲攻撃、英国領マレー半島奇襲上陸し、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まる(第二次世界大戦のうち太平洋で起こっている戦争)。 |
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1942年 | ミッドウェー海戦の敗北で日本の力が弱まる。 | |||
1944年 | サイパン島で敗戦し、米軍に占領された。サイパン島から爆撃機が日本に飛来し、日本本土爆撃が本格化した。フィリピンのレイテ島沖で戦艦武蔵や神風特攻隊による総攻撃を行うがアメリカに敗れる(レイテ沖海戦)。 | 80 歳 |
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1945年 | 沖縄戦の開始、硫黄島の日本軍全滅、東京大空襲、広島と長崎に原爆が投下される。ソ連はヤルタ会談を機に日ソ中立条約を破棄して参戦する。日本はポツダム宣言を受諾し、玉音放送で国民に敗戦を知らせる(独・伊も降伏)。 <戦後> 51カ国参加による国際連合が成立。 GHQ最高司令官のマッカーサーが厚木に到着し、GHQ単独の間接統治となった。連合11カ国の最高機関である極東委員会はワシントンに、マッカーサーの諮問機関である対日理事会が東京に置かれた。 東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこ)内閣はミズーリ号上で降伏文書に調印。自由の抑制を廃止する人権指令を実行できず内閣は総辞職。 幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣はGHQからの指令で、五大改革を行なった。 ①経済自由化:持株会社整理委員会が財閥株を公売し財閥解体。寄生地主制を解体し自作農を行う農地改革。 ②労働組合育成:労働組合法制定により、労働者の団結権・団体交渉権・争議権が保障。 ③女性参政権付与:20歳以上の男女選挙権付与 東久邇宮稔彦内閣は他にも天皇の人間宣言、公職追放を行なった。物不足によるインフレのため預金封鎖を行う金融緊急措置令が発令。 |
ポツダム宣言によって台湾が中国に返還された。沖縄奄美小笠原は米軍の支配下に置かれた。
日本の敗戦後、国民党と共産党の戦いが激しくなる。 終戦後、満州・サハリン・千島で捕虜となった日本人はシベリアに連行され強制労働させられた(シベリア抑留)。 |
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1946年 | 第一次吉田茂内閣(日本自由党)は、GHQから提示された草案をもとに若干の修正を加えた日本国憲法公布。都道府県知事を公選する地方自治法も公布。独占禁止法によりトラスト・カルテル禁止。 資金や資材を石炭鉄鋼部門に集中させる傾斜生産方式を採用。 |
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1947年 | 片山哲(てつ)内閣(日本社会党)は、過度経済力集中排除法により巨大独占企業を分割。 戦後最大の労働闘争である二・一ゼネストが計画されたがGHQ命令で中止。 教育基本法により義務教育9年、学校教育法によって6-3-3-4の学制が発足。 アメリカはソ連封じ込めをはかるため、マーシャル=プランを発表。 |
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1948年 | 戦争犯罪人が逮捕され、極東国際軍事裁判所における東京裁判では、A級戦犯として東條英機や広田弘毅ら7人を死刑。 第二次吉田茂内閣は、経済安定九原則の実施指示を受ける。 |
韓国と北朝鮮に分立。 | ||
1949年 | 湯川秀樹が日本人初のノーベル賞(物理学賞)を受賞する。これを機に、日本学術会議が設立される。 ドッジの指導により、1ドル360円の単一為替レートが設定された。また、コロンビア大学教授のシャウプによって税制改革が断行された。 共産圏対抗組織である北大西洋条約機構(NATO)結成。 |
中華人民共和国 | 国民党との戦いに勝利した共産党は、毛沢東を首席、周恩来を首相にして建国宣言した。国民党は台湾に逃れ、新政府を建てた。 | |
1950年 | 北朝鮮軍が北緯38度線を越えて侵攻したため朝鮮戦争が始まり、戦争による特需景気が起こる。GHQの指令で日本の防衛と治安を維持する警察予備隊創設。 法隆寺金堂壁画の焼損を契機に、文化財保護法が制定された。 |
北緯38度線の侵攻を機に朝鮮戦争が始まり、中国は北朝鮮に援軍を送る。 | ||
1951年 | 日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を結び独立回復。 日米間で日本防衛のための日米安全保障条約調印。 |
人民解放軍がラサを占拠する。 | ||
1952年 | 日米行政協定が結ばれ、国内に米軍基地が残されることになった。 | |||
1953年 | テレビ放送が開始。 | 板門店で朝鮮戦争の休戦協定が調印。 | ||
1954年 | 警察予備隊→保安隊を経て、自衛隊がつくられる(防衛庁も創設)。 日本民主党総裁の鳩山一郎内閣が始まる。 |
70 歳 |
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1955年 | 神武景気が始まり、高度成長期となる。 自民党が結成され、日本社会党との55年体制が始まる。 |
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1956年 | 日ソ共同宣言によりソ連との国交が回復する(平和条約は締結してない)。これにより国際連合に加盟する。 | 簡体字が作られる。 | ||
1958年 | 毛沢東は人民公社を設立し、農業と工業を農民に行わせた(大躍進)。しかし、餓死者2000万人を出す失敗に終わり毛沢東が失脚する。 | |||
1959年 | チベットの反乱を人民解放軍が制圧し、ダライラマがインドに亡命。インド国境で武力衝突が起こる(中印国境紛争)。毛沢東の代わりに劉少奇が国家主席になり、鄧小平が補佐する。 | |||
1960年 | 岸信介内閣は、安保条約改定をはかり、日米新安保条約(日米相互協力及び安全保障条約)が結ばれる。 池田勇人(はやと)内閣は、寛容と忍耐を唱え、また、所得倍増をスローガンに掲げる。白黒TV・電気洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と呼ばれ流行語となる。 |
黒竜江省で中ソ国境紛争が起こり、ソ連との関係が悪化する。 | ||
1961年 | 農業基本法制定。 | |||
1964年 | IMF8条国に移行し、経済協力開発機構(OECD)に加盟したことで、為替と資本の自由化が義務付けられた。 東海道新幹線開通。 第1回東京オリンピック開催。 |
60 歳 |
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1965年 | 佐藤栄作内閣は日韓基本条約を結び、日韓国交正常化。 | |||
1966年 | いざなぎ景気開始 | 毛沢東は政府内部の資本主義復活者(劉少奇や鄧小平)を打倒するといい、学生を中心とした紅衛兵を援助する(文化大革命)。 | ||
1968年 | 小笠原諸島が返還。 国民総生産(GNP)が世界第2位となる。 |
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1969年 | 沖縄の祖国復帰運動が盛んになる。 | 紅衛兵の暴動に頭を悩ませた毛沢東は、紅衛兵を農村に働きに向かわせた(下放運動)。 | ||
1970年 | 大阪万博(日本万国博覧会)開催。岡本太郎の太陽の塔がシンボルとなった。 | |||
1971年 | ワシントンのスミソニアン博物館で固定相場制の復活がはかられた。 | 中国が国際連合に加盟し、台湾が脱退させられる。 | ||
1972年 | 沖縄返還協定が調印され、沖縄の日本復帰。 田中角栄内閣は訪中し、日中共同声明に署名して日中国交正常化が行われる。 |
米ニクソン大統領が訪中する。 | ||
1973年 | 第4次中東戦争勃発し、第一次石油危機(オイルショック)によりインフレが起こり、狂乱物価を招いた。鉄鋼や石油化学などの産業が衰退して高度成長期が終わる。 変動相場制へ移行。 |
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1974年 | 戦後初のマイナス成長となり、高度経済成長は終了。 | 50 歳 |
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1976年 | ロッキード事件が発覚する。 | 周恩来と毛沢東が死ぬ。 | ||
1978年 | 日中平和友好条約を締結。 | 北京で日中平和友好条約が結ばれる。鄧小平(事実上のトップ)は工業・農業・国防・科学技術の4つの現代化を進めるため経済の改革開放政策を打ち出した(人民公社解体)。 | ||
1979年 | 第二次石油危機が起こる。 | 一人っ子政策が開始される。 | ||
1980年 | 深圳、珠海、汕頭、厦門に経済特区を設けた。 | |||
1982年 | ||||
1983年 | 山形県の貧しい農村を舞台にしたNHKドラマおしんが大ヒットする。後に、世界70カ国以上で放送され、オシンドロームを引き起こした。 | |||
1984年 | 40 歳 |
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1986年 | ドル高是正のためのプラザ合意が行われた。その結果、円高が急速に進行し、株価が異常上昇するバブル景気が起こった。 | |||
1988年 | 青函トンネル、瀬戸大橋が開通する。 | 台湾で李登輝が大統領となり民主化を進めた。 | ||
平成時代 (1989年) |
昭和天皇が崩御し、平成天皇が即位する。 ベルリンの壁崩壊。 竹下登内閣は消費税3%を創設。 |
胡耀邦の死をきっかけに、天安門で学生による民主化デモが起こるが、軍隊で鎮圧する(天安門事件)。 | ||
1991年 | バブル崩壊し、平成不況となる。 イラクのクウェート侵攻を機に、アメリカ軍を中心とする多国籍軍による湾岸戦争が勃発。日本は110億ドルの経済支援をした。 |
ソ連解体。 ドイツ統一。 |
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1992年 | 宮沢喜一内閣は、PKO協力法成立させ、自衛隊をカンボジアに派遣。 | |||
1993年 | 非自民連立による細川護熙(もりひろ)内閣が誕生し、自民党の55年体制が終了。 | 江沢民が国家主席になる。 | ||
1994年 | 衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入する選挙制度改革実施。 | 30 歳 |
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1995年 | 阪神淡路大震災が起こる。 地下鉄サリン事件が起こる。 |
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1997年 | 香港が英より返還される。鄧小平が死ぬ。 | |||
1998年 | 長野冬季オリンピック開催。 | |||
1999年 | マカオがポルトガルより返還される。 | |||
2001年 | 小泉純一郎内閣は郵政民営化や大幅な規制緩和を行なった。 | |||
2002年 | ||||
2004年 | 20 歳 |
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2008年 | 北京オリンピックが開かれる。 | |||
2010年 | 上海万博が開かれる。 | |||
2011年 | 東日本大震災が起こる。 | |||
2012年 | 野田佳彦内閣は消費税10%引き上げ。 | |||
2014年 | 10 歳 |
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令和時代 (2019年) |
12月に中国武漢で新型コロナウイルス感染症が報告され世界に拡大する。 | |||
2021年 | 第2回東京オリンピックが無観客で開催される。 |
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